~そうだけど、そうなのか?~
6歳の娘が担当医から「ADHD」と言われました。これまでの発達障害の経緯を簡単にまとめます。
・3歳:「自閉症スペクトラム」の診断が付く。言葉の発達の遅れと対人関係の苦手さがあるため。
・4歳:診断名が「発達遅滞」に変わる。対人関係の苦手さは薄れ、言葉の遅れも改善されてきたため。
・6歳:診断が取れる。言葉の遅れはあるが平均の範囲内になったため。
そして7歳を目前にした今、再び「自閉症スペクトラム」と「ADHD」となりました。
今回の診断は言葉の遅れではなく「注意欠陥」からの診断です。「ADHD」は「注意欠陥多動性障害」ですが、「多動性」がない「注意欠陥性」だけのタイプもあり、娘はこれにあたります。
「自閉症スペクトラム」の診断は、ついでのような、やっぱり傾向はあるよね。という感じで付きました。
「ADHD評価スケール」というものを使って、あてはまる項目の数値の合計でADHD傾向の度合いがわかります。平均を50とし、最高値は99です。
娘の「多動性」の数値は60。
「注意欠陥性」の数値は97。
合計した「ADHD」の数値は92。
「ADHD」の数値はかなり高いです。
娘の特性には、
・物事を順序立てることが難しい。
・忘れっぽい。
・気が散りやすい。
こういった特性があります。これまでもありましたが、幼いうちは周囲の大人がフォローするため目立ちません。それが小学生になった最近は他の子どもたちとの違いが目立ってきました。ですから診断に対して私は大いに納得しました。
それと同時に疑問もあります。
この数値は私ひとりの主観です。一人っ子ですし、同年代の定型発達の子と比べて客観的に見ることができていません。自分と比べて「気が散りやすい」などと思っているのです。ですからこの数値だけで判断するのは早計だと思っています。
まぁ、度合いが私の主観だというだけで、傾向が強いことに間違いはありません。でも度合いによって診断がつくかどうかが分かれるので、はやり疑問は残ります。
先生はこうもおっしゃいました。
「多動傾向のない人は周りに迷惑を掛けないので問題視されません。忘れ物が多くて本人が困るだけです。知能の遅れがなければADHDであることに気が付かない方も多くいます。
また堀江貴文さんはこういった特性を「多動力」と呼び、ひとつの能力として高く評価しています。」
気が散るということは興味の範囲が広いということであり、楽しいことや自分にしかできないことをやることで、社会に貢献できる能力を発揮することができる。という特性でもあるようです。
先生は今できることとして、「好きなことや得意なことをたくさんやらせてください。」とおっしゃいました。療育と同じですね。
ですから私はこれまで通りに、娘のやりたいことを応援し、苦手なことはあとから結果としてついてくるのを待つ。というスタンスでやっていこうと思います!
将来的に苦労する時が訪れそうですが、その時に自己肯定感が高ければ乗り越えられると思うから。