〜告知は正解だったよう〜
先月に小学3年生の娘に「ADHD」であることを告げました。告げることになった経緯はこちらでお話しています。
それから1ヶ月ほどが経ちましたので、
①娘にどんな変化があるか。
②母の私はどう思っているのか。
についてお話したいと思います。
①娘にどんな変化があるか。
ショックを受けたはずですが、それよりも安堵感のほうが勝っているように見られます。自分が他のお友達と何か違うと自覚し始めてモヤモヤとしていた部分が解決されたということです。
私の説明から得た知識(ADHDの特性)をさっそく日常生活に活かし始めました。
例えば、
娘「あ〜漢字ぜんぜん覚えられない!これもわたしの特徴なの?」
私「いやそれは違うよ。頑張れば覚えられるから一緒にやろう。」
娘「あ〜また忘れちゃった!どうしても忘れちゃうよ〜!!」
私「じゃぁランドセルに書いておこうか。そしたら帰るときに必ず見るから思い出せるよね。」
娘「そうする!!」
というように日々起こる何かできない状況において、それは自分の特性なのかどうかを私に聞くようになりました。以前はできない自分に怒れてしまって、騒いだり泣いたり机を叩いたりしてましたが、それらはなくなりました。
そして私が、代わりにどうしたらいいかを考えるように促すことを素直に受けてくれるようになりました。
発達障害の特性は病気ではないので治ることはありません。ですが育った環境によって克服できる特性もあるため、少し頑張ればできるような低いハードルをいつも設定しています。
それでもうまく行かない、何度やってもうまく行かない。という状況にも都度、ハードルの高さを調節しながら見守って行こうと思っています。
(姫リンゴがた色づいてきたのを見つけました。)
②母の私はどう思っているのか。
これまでは特性によってできないことは私が必死にカバーしてきました。忘れ物を届け、落とし物を探し、片付けを手伝う毎日です。そしてどんな状況、結果であってもできたところまでは褒めてきました。
それが本人が特性を理解したことで、娘と一緒に「それならどうすると生活しやすくなるか。」を考えるようになりました。それは学校生活など私が状況を把握できない環境について考えるときにとても役立ちます。
またできたところまでを褒めつつ、結果にこだわることはないと伝えるようにしています。「できてもできなくても頑張ったことが素晴らしく、あなたはママにとって大切な存在であることには変わりない。」というメッセージを紙に書いて伝えます。(視覚優位なので文字にするのが一番伝わります。)
(山には栗がたくさん実っていました。)
こうして始まった新学期。
相変わらず忘れ物あり、うっかりミスありと、状況が急に変わることはありません。
ですがそれに対する本人と私の気持ちや姿勢は全く違うものになったので、告知をしてよかったと思っています。
障害を知ったばかりの今は不安定になりがちなので、
・障害は悪いことではない。
・周りの理解がなくても我慢しなくていい。
といった言葉がけをしています。できることを増やすことより、自己肯定感をキープすることを優先することを心がけています。
思春期を迎える近い将来は、娘自身でないとわからない部分が増え、ひとりで模索することが多くなると思うので、それまでは娘と共に知恵を出し合っていこうと思います。